将来どうなりたい? と聞かれても、うまくこたえきれなかった。そんな話を友人にしたら「どうなりたいか、ずっと変わっていないように見えるよ?」と、過去のSNSに書いたことばを引用してくれた。
わたしはそのSNSをやめて、できるだけ小さく発信するようにしていた。積極的につながるようなことから距離をとり、できるだけほんとうのやりとりをしていたかった。
Facebookを退会してしまい、もう思い出せないことを伝えると、友人は「スクショしておいてよかった!」と笑った。送ってくれた過去の投稿を読み返す。
どうなりたいか、の問いに答えきれなかったときも、どうありたいか、はわかっていたのかもしれない。
2013年のわたしは遠すぎて自分のことのように捉えきれないけれど、このひとが大切にしたいことは伝わってくるような気がした。
今は、あの頃に想像もつかなかった生活をしている。この場所に遊びに来た友人は、地続きに見えると言っていた。自分ではわからなかったこと。
3年間ひとりで、やるだけやって
力を合わせてみようとした
納得度を高めて出店してくれるだろう、と信頼できる方に声をかけた。
初出店が、一歩踏み出すような場になるといいなと思ったことや、できるだけで横並びでやりとりをしたくて告知のフライヤーをそれぞれに作ってもらったこと、何かあればわたしが責任をとるぞと腹をくくったことを思い出す。
あの日、ちいさな民家に集まった老若男女の顔を浮かべる。居合わせた人たちでうまれたやりとり、うれしかったな。赤ちゃんはもう小学生か。
赤ちゃんが成長していくように、わたしも言葉にしきれないことを手探りしながら少しずつ育ててきたのかもしれない。
日々に追われて大切なことを忘れてしまわないよう、手帳を眺めながら1年間を振り返ろうと思う。誰かの振り返りの話も聞けたらいいな。
今年も1年、ありがとうございました。はやいかな、よいお年を!