つくばの古民家、華の幹で開催される、お灸祭りに参加します。わたしは演奏にお声がけいただきました。
10〜13時、健康的な時間のイベント!黄帝内経素問によると、秋の養生は早起きとのびのびした気持ち、深い呼吸をすることだそう。気になった方、養生がてらぜひ!
養生ご飯、東洋医学のおはなしも、たのしみ。
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心身のバランスを崩した時期に東洋医学を学ぶ機会があった。ぜんたいをみる、ゆらぎ、状態をそのままみる、ある、いいわるいを判断しない、中庸、バランス。
それまでそんな捉え方をしたことがなかったので、ぜんたいのバランスが調和すると心地よさを感じるということさえ、そのときに初めて体験した。感じる、体験することより、頭だけで考えてどうにかしようとしていたのだと思う。
痛い部分、違和感のある部分だけにフォーカスしているときには、どうにかしようという気持ちばかりで、心地よさを感じたことはなかった。このまま衰えていくのだろうと、弱った部分にだけフォーカスしていた。
心地よさを感じているときは、ぜんたいにフォーカスしている感じがした。
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その頃、木火土金水、という五角形の図をよく見かけるようになった。(気になる方、五行でお調べくださいませ)
木のイラスト、火のイラスト、土のイラスト、金のイラスト、水のイラストと矢印が書いてある。
♪ 相手を生かす関係 ♪
木は火を育てる
火は土を育てる
土は金を育てる
金は水を育てる
水は木を育てる
♪ 相手をよわらせる関係 ♪
水は火を消す
木は土の養分を吸う
火は金属をとかす
土は水にとけていく
金物に木は切られる
生かすことがいい、弱らせることがわるい、ではなく、バランスやゆらぎ、ぜんたいの流れに目を向ける。それはとても興味深い概念だった。
身体も人間も季節も自然も経絡も気配もつながりあっていて、お互いに影響を及ぼしあっている。そんなことに気づいてから、わたしも "自分で心身を健やかに育てていく意識" がうまれた。
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"そういうもの" と思い込んでいると、物事や世の中のこと、あれもこれも、そのようにしか見えなくなっていく。思い込みのフィルターをかけて物事を見ることで、自分は無力だと思い込んでしまう。
遺伝、育った環境、老いること、このままいくとおそろしいことになる、変えられないことへの絶望感。わたしはそんなフィルターを通して世の中を眺めていた。
・脳みそは衰えていきます
・骨の異常です
・このままだとどんどん悪くなります
・このままだとおそろしいことになります
・遺伝です
・体質です
・環境です
・"そういうもの"です
自分では変えられないことを、仕方ないと思い込むことにもエネルギーがいる。自分には何もできることがない。そんなふうに思うことは悲しかった。
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(ほんとうに、そういうもの?)
ひとりひとり、生きている経過があって、同じことを繰り返しているように見えても、感じとる層位には異なりがある。同じように、繰り返している意識がなくても、みずはけのわるい土に水をかけつづけるようなことをしていることもある。いいわるいで判断しすぎず、ただみて、感じとりながらイメージと共に実践していきたい。
からだだけでなく、海、山、気候、微生物、生産、分解、お金の枠組み、介護、せんそう、平和、愛について。どれも同じように、ただみて、感じとりながらイメージと共に実践することなのかもしれない。
"そういうもの" を超えたところから一緒に考えられるひとが増えていくことはうれしい。個を持ち寄って一緒に考えてみたい。そんなきもちで今の仕事をしたり本を書いたりしている。市井のひとだからできることがある。
できることは、ある。さまざまな人間がいる。そう思えることはわたしにとって、生きる安心感へと繋がることだった。
どうにかしなきゃという状態からみえるせかいと、気力や体力が調和した状態からみえるせかいは異なることがわかった。
東洋医学の概念を学んだことをキッカケに、ひとりひとりが自分で、自分やたいせつなひとのからだを育てていけたらいいなとイメージするようになった。
そんな流れもあり、お灸祭りで演奏できることがうれしい。とてもたのしみです。久しぶりのライブの遠征!
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